他力と自力と

家事と育児に追われるおじさんの、日記代わりの備忘録です

「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」 感想 ネタバレ

前編とはあまりに違う作品でした。。

 

監督:樋口真嗣

2015年:日本

 

※以下ネタバレありなので、ご注意ください。

 

家族に時間をもらって会社帰りに観に行きました。

感想としては・・ん~残念!でした。

原作を全く知らないので的外れなことになってしまうかもしれませんが、そんな私なりの感想を書き残したいと思います。

 

前作は面白かった!

私は原作を読んだ事が無く、予備知識ゼロで映画前編を鑑賞したのですが、とても楽しませていただきました。感想も書かせていただいています。

tarijiri.hatenablog.com

なのですが鑑賞後にネットで他の方の感想を見ると、結構マイナスな意見が多くて。。どうやら原作とは設定や登場人物が異なるようですね。私は予備知識無しでこそ前編を楽しめたと感じましたので、楽しみにしていた後編も全く情報を入れないようにして鑑賞しました。

前編ではとにかくその絶望の世界観が気に入りまして、人間パートの「流石にバカすぎないか?」的なアレを補って余りある魅力を感じました。そして反撃の希望となるエレンの巨人化、さて話はどうなっていくのか!?

非常に期待をしていたのです。です!!

ですが・・

 

私にとっては、期待していた内容ではなかった

後編はストーリーというよりは、人間パートが中心となり、それぞれの意見陳述合戦の様相でした。前編で良かった世界観がほぼほぼオミットされ、非常にアレに感じていた人間パートばかり見せられることになったのです。

私は特撮映画においては人間パートに突っ込みを入れるのは野暮と考えているのですが、そんなパートばかりが延々と続くため、さすがに全体の感想も塗りつぶされてしまったのかもしれません。

 

突飛な行動の連続

とにかく、各キャラの発言や行動が突飛すぎるように感じ、いちいちつんのめってしまいました。

映画のキャラクターの行動(発言も含む)ってこんな存在ですよね。

①そのキャラの性格や考え方があり

②それを育んだ世界や背景があり

③その行動を取るに至る流れがあって

④行動する、発言する

⑤それが周囲へと影響して

⑥それもまた流れや背景となる

①~③という過去と⑤~⑥という未来を連続的につないでいるというか。もちろん先に行動によって過去への理解が進んだり全ては明示されなかったりと演出によって出し入れがあるのでしょうが、観賞している私たちは無意識にでも受け取ってストーリーを形成していると思うのです。

 

なのですが、この映画では④「行動する、発言する」を観た瞬間、それまでベースとしてとらえていた①~③からすると非常に違和感があり、これが与える⑤⑥という影響とその流れに続くまた次の行動も常に統一されていないように感じられてしまったのです。

納得が行かないというか突飛な行動ばかりを連続して見せられているため、後編に期待していたストーリーの推進力が悉く削がれているような感覚でした。

 

代表的なところをあげますと

最も気になった点を代表的なところとしてあげるとすれば、やはりシキシマがエレンを味方に引き入れたシーン。このシーンの前に、二人が実は兄弟でありシキシマだけがそれを知っている、そしてこの二人ともが知性をもった巨人になれる、ということが示されています。

説明時の台詞の古臭さは飲みこむとして、こんな世界になった原因と怒りの矛先を向ける場所があるのは良いのですが、

シキシマ巨人>>>>>>>>>>人食い巨人>>>>>>>>>>>>>>>人間

という確固たる力関係があるわけですから、その気になればとっくに「政府」なる奴らに鉄槌を落とせるんではないのか?と感じながら観ていました。なんで二体必要なの?まぁ大変なのかなぁ・・と頭の中でつじつまを合わせます。

そもそも、前回のエレンもそうだったのですが、シキシマ役の長谷川博己さんが既に立派に成熟されている大人にしか見えず、発言の一つ一つ、考え方一つ一つが呑みこみずらいというところもあり、この会話もなんか流れるような感じがしません。

それでも何でも信じるエレンが共闘を決めるわけですが、その直後に「政府の壁をぶっこわす」と急に話をガラガラポンしだします。いや、騙そうとていたのでしょうからそれもありなのでしょうが、あのタイミングであんな風に上から目線で話をして説得できるわけが無いですよね?シキシマって自分なりの組織を作って周到に準備してきたと示されているのに、急に切れたように自分の話をして乗ってこないエレンたちにいらつくって、この人本当にバカなんじゃないか?と、これまでのシキシマというキャラクターまで価値が下がり、「彼が実は騙していた」というサプライズも全く効きません。兄弟設定も混乱に拍車をかけただけだったような。

 

この直後にシンナギが自己犠牲的な行動を取るのですが、その前に守るものがあると散々言っておきながら、それなのにきっかけが示されないまま(私が気付かなかったのかな?)突然玉砕行動を取りだすのです。

直後には逆に、巨人となろうとして自分に刃を向けるエレンを仲間として止めたり、先ほどの力関係を無視して人間だけでシキシマ巨人に立ち向かおうとしたり、それでも意外と戦えてしまったりなどなど、こんな前提を無視した行動ばかりが続いてしまうのです。

 

政府?

シキシマの説明「のみ」で政府なるものの存在が示されます。

結局最後まで表に出ることは無く(最後のあれについては後述)、今となっては何だったのか?という感じなのですが、そもそもこの絶望的な世界で政府に居る人間ってメリットあるのですかね?

自分たちだけがマンションみたいな部屋に暮らして戦うこともせずとは言いますが、そんな世界を維持したいがために人間を家畜扱いしているって、別に税金を集めているわけでもないだろうし、金があるから好きなものが買えるわけでもないだろうし。

それでもシキシマはオコなわけですよね?巨人になっても手は出せないけれど爆弾があれば破壊できる壁の中に居る人たちに?

このようにストーリーの土台となる世界観が、そもそもしっかり練られていないような感じを受けました。

 

スケールのしりすぼみ感

土台がしっかりしていないためでしょうか、各々の行動も脈略のないものであると同様、私が期待していた世界観も無かったことになっていました。

最後まで生き残った一行が、大巨人が空けた穴を塞ぐことが目的となります。。って壁の内側に大量に入ってきた巨人たちが居るはずなのにその壁を閉めても意味無くないでしょうか?なのですが、それこそが人類を救う唯一の手段であるという話になっています。

しかも、その壁の前に来ても巨人たちが来ないのですね。前編で壁に穴があいたときは大量の巨人たちがぞろぞろと入りこんできたのに、今回はわずか二体だけ。それも障害にはならず一瞬でシキシマ巨人がやっつけてしまい、その後は無かったことに。。

 

世界中が巨人であふれていて、その中に壁を作って人間は生き伸びていた。・・前編で感じたあの絶望的な世界観はなんだったのか・・。

首尾よく壁の閉じ込めに成功し、実は壁の目の前に美しい海があることがわかり(どこから巨人達は来たんだ?)ハッピーエンドになってしまいました。

エンディングの後に蛇足的に第三者の視点がつけられていましたが、これにもがっかり。こんな小細工するならば、もうちょっと本編でがんばってくれよと。

 

まとめ

なんか文句ばかり書いてしまいましたが、私は前編を観て勝手に期待値を上げすぎていたのかもしれません。また、後編は原作からしてこのような話なのかもしれませんね。そうすると大分お門違いな愚痴になってしまいます。

後編は人間パートが中心の映画であったのでこんな感じになってしまいましたが、「変身シーン」はやっぱり上がりましたし、これだけの題材を実写にして違和感の無いルックにしてくれたのは流石です。

前後編観られて良かった!