他力と自力と

家事と育児に追われるおじさんの、日記代わりの備忘録です

「少年と自転車」 感想 ネタバレ

「あなたは受け入れられますか?」と突きつけられたような気になりました。

 

2011年 ベルギー・フランス・イタリア

監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ/リュック・ダルデンヌ

映画は全く詳しくないのですが、好きでたまに観ています。

映画館にはなかなか行けないので、レンタルDVDでの鑑賞が主になります。

どんな映画を見たか、すぐ忘れてしまうので、備忘のための感想駄文です。

 

※以下ネタバレありなので、ご注意ください。

 
 

ダルデンヌ兄弟と言う監督の作品を観るのは初めてだったのですが、本作もカンヌ審査員特別グランプリを獲得するなどカンヌの常連の監督さんらしく、確かにカンヌっぽい作品でした。

 

あらすじ

最初にざっくりしすぎたあらすじを書いてしまいますね。未見の方はご注意を。

 

父子家庭で育った少年シリルは、一時的に預けられているはずの孤児院で父親からの連絡を待っていますが音沙汰が無く、非常にやさぐれています。住んでいた家に電話をしても繋がらず、孤児院を抜け出して家に行ってももぬけの殻。パパが買ってくれた自転車があるはずだと言いますが、それも既に他の子に売られている様子。しかしシリルはその現実を受け入れず、「盗まれたんだ」と主張します。

 

そのころ出会った30代くらいの女性サマンサは自転車を買い戻してくれました。シリルはサマンサに「週末だけ里親になって」とお願いするとサマンサは受け入れます。サマンサはシリルの父の居場所を調べて二人で会いに行きますが、父にとっては迷惑そうで「お金が無いから迎えにはいけない」「もう来るな」とシリルを拒絶します。父に裏切られたシリルはショックで自傷行為に走りますが、サマンサはそれを抱きしめました。その後週末共にサマンサと過ごす日々は穏やかで日常的で、落ち着いているように見えます。

 

そんな日々の中、シリルは不良グループのボス、ウェスに目をかけられます。尊敬していると握手をされたり優しくされたり、自宅に招待されてジュースで乾杯。自転車のパンクも直してくれて、お腹がすいていると食事もおごってくれました。ウェスはシリルに強盗させるために仕込むのですが、シリルはそれを「君のためだから」と練習に精を出します。

サマンサはウェスと付き合うことを禁じ、実行の日も止めに入りますが、シリルはサマンサに「親でもないくせに!」と怪我をさせてまで家を出て行き、強盗を実行しました。ですが想定外にもターゲットの息子も来たことから顔を見られてしまい、その両方をバットで殴ります。顔を見られたことをしったウェスは激高、全てをシリルになすりつけて捨ててしまいます。

ウェスに利用されていることを悟ったシリルは手元に残った金を持って、自転車ごとバスに乗りながら遠く父に会いに行きお金を渡そうとしますが、父は決定的に拒絶。サマンサの元に戻ったシリルは「ずっと一緒に暮らしたい」と伝えるとサマンサは受け入れ、共に警察に行き謝罪と慰謝料で示談とします。

 

親子になった二人は幸せそうですが、強盗をした際殴ってしまった息子マルタンのほうは謝罪を受け入れておらず、シリルを見かけると襲いかかってきます。喧嘩をしたくないシリルは森に逃げ込み木に登りますが、投げつけられた石のせいで落下。追いかけてきたマルタンの父は殺してしまったかと思い証拠を隠滅したが、シリルは生きていてふらふらしながら起き上り、何も言わず自転車で去っていきます。

 

ふ~長くなってしまいました。

 

シリルにイライライライラ・・

このようにあらすじを書きだしてみると、父親からの愛に飢えて必死だったシリルが父に拒絶されて傷つくものの、サマンサの愛によって幸せになった・・という良い話なのですね。このような話で文句をつけたくなる私の心の狭さが情けないのですが、私はシリルの終盤まで続くわがままな態度に終始イライラムカムカして、全く感情移入できませんでした。

この作品は確かにかわいそうなシリルに感情移入ができれば良いのかもしれませんが、既にかつての少年から親にトランスフォームしてしまった私はあらゆる作品が親目線で見えてしまう状態。なので「大人の目」でみるシリルの振る舞いには途中で観るのやめようかな?と思うほどむかっ腹が立ってしまったのです。

確かに常軌を逸したようなシリルの振る舞いは、父にすがる必死さの表れなのでしょうが、そんな状況でも頑張って生きている子もいるわけです。この作品のシリルには何故か本当に嫌いになってしまったのです。

 

受け入れられますか?

シリルは同情できない腹が立つ存在として演出されていたのかもしれません。そんな彼を「受け入れられるだけの愛をもっていますか、あなたは」と突きつけるために。

この映画ではサマンサが彼をとことん受け入れます。週末に里親になり、シリルの反抗的な態度にも耐え、恋人を失いながらも最終的には親となり、シリルを幸せにします。序盤では私が自覚している心の狭さ、時に自分の子供にまで態度に出てしまうキャパシティの狭さを、これでもかと見せつけられている気がしてとても自分が惨めな気持ちでいたのですが、途中から変わってきました。私はこのサマンサにも感情移入できなかったのです。何故ならサマンサがシリルのためにそこまでやる理由が提示されず、彼女がそこまで受け入れられる心情に納得ができなかったから。

サマンサには付き合っている彼がいました。サマンサに「俺かこいつか」と選択を迫り、「この子」を選んだので彼女のもとから去ります。でもこの彼も大分がんばりましたよね?恐らくお互い仕事をしていて週末にしか会えないと思うのですが、その週末に見知らぬ態度の悪い少年が家に居ます。しかし彼は最初それを受け入れ、遊びにも連れて行ってあげます。なのにこの少年は心を開かないばかりか侮辱的な言葉を吐いてきます。その上での決断なのです。私はこの彼のほうによっぽど感情移入してしまったし、私ならば週末の里親になると聞いた時点で反対したでしょう。。ってこの辺の器の小ささに自分でも辟易するのですが・・とにかく彼には「おまえは頑張ったよ」と言ってあげたくなりました。

30代位の女性が彼と別れてまで少年を受け入れるほどの覚悟、その理由がわからないままだったので、シリルと共に幸せに自転車を漕いでいる姿にもあまり感動出来ず「あなた方がそれでいいならドーゾ」という気分になってしまったのです。「STAND BY ME ドラえもん」でのしずかちゃんに感じた違和感の実写版を見せられている感じでした。

全てを見せないという演出も良いのですが、私にはここは物足りなかったです。

 

比喩表現

この作品を見ていて色々な比喩が使われていると感じました。

 

例えばドアと鍵。シリルが望んで開けたがっていたドアはいつも鍵がかかっていました。昔住んでいたアパートの部屋。そしてやっと見つけた父の居場所。帰れと言われたシリルは痛々しくも粘ろうとするのですが、外に出されて父に鍵をかけられました。とても象徴的なシーンだと思います。

また不良少年ウェスの自宅には、彼にまねかれて入りました。このようなシーンによってウェスに心を開いたシリルの気持ちには納得ができます。結局は利用するための演出だったわけですが。

そしてサマンサのお店のドア。週末に来ている時はシリルは自分で自由にこのドアを通っています。シリルがサマンサを裏切って強盗に出かけた後、残されたサマンサは涙を流しながら電話をするシーンがありました。「やはり無理です」と施設に申出たのかと思っていましたが、シリルがウェスと父に裏切られ傷ついて帰って来たときには、サマンサは鍵を空け出てきて抱きしめてくれました。そして外から鍵をかけて二人で出てゆきました。・・ってこれが何を意味しているのかはわかりませんが、「鍵を空けて向こうから出てきてくれた」というのが印象に残りました。

 

また父の居場所である飲食店の裏には高い塀がありました。最後に会いに行って拒絶されたとき、この壁をよじ登って入ったのですがそこから壁の外に返されてしまいました。この高い壁もまた父との関係を断絶する比喩に見えました。

 

フード理論満載

福田里香さんが提唱されている、いわゆる「フード理論」に非常に沿った内容でした(ご存じない方は是非「フード三原則」で検索してみてください。面白いですよ!)。

例えばお父さんとやっと会えた時、与えられた食べ物はスナック菓子であり、父は一緒に食べようとはしませんでした。

ウェスの家では食事は取らず、飲み物だけの乾杯。腹が減ったとお店には入りましたが、一緒にご飯を食べている姿は見せませんでした。

そしてサマンサとだけ、手作りの料理を一緒にテーブルで食べます。そして最後も自転車に乗ってピクニックに行き、美味しそうにサンドイッチを食べます。そして招く友人とバーベキューをやろうとします。サマンサとだけ美味しく食べている、まさにフード理論ですね!

しかも今回、最後のピクニックではシリルが準備をします。食べ物を運ぶシリルの姿に「シリルの心は穏やかになったのだな」と感じることができました。実際にサンドイッチをこしらえたのはサマンサだったかもしれませんが、丁寧に食べ物を扱っている、人に渡す側の人格も表現できるものだな~と思いました。4原則目にならない・・わな。

フードではないですが自転車を交換する、というのも心が通じている表現に見えました。

まとめ

「受け入れられたい子供」に対し、「受け入れない父親」、「利用しようとした男」、そして「受け入れた女」の物語の中に「受け入れられない俺」が垣間見えて胸がざわざわした作品。シリルが気に入らずに彼の成長を心から喜べない自分が情けないわけですが・・。

でも確かにシリルは成長しました。最後に相手の親子を責めなかったのはもしかしたらシリルが騒ぐことで彼ら親子が会えないようになってしまうから、と考えたように見え「あれだけ自分勝手だった子が・・」と感心しました。サマンサがしつけを教えたり何気ない会話で楽しむシーンがところどころに挿しこまれていて、ああいった些細なことが彼を変えていたのだと思います。

 

長くなってしまったので割愛していますが、もっと沢山のことを書き残したくなった作品でもありました。それだけ私の印象に残った作品ともいえるのかもしれません。。カンヌ的な地味な映画ですが、あまり自分のことは省みずにシリルの幸福を願うスタンスでご覧になれれば心温まる作品ではないでしょうか。