人生の先が見えたようなつもりになっている人にこそ観てほしい、私にとっては人生ベスト級の傑作でした。
1993年:米国
監督:ハロルド・ライミス
映画は全く詳しくないのですが、好きでたまに観ています。
映画館にはなかなか行けないので、レンタルDVDでの鑑賞が主になります。
どんな映画を見たか、すぐ忘れてしまうので、備忘のための感想駄文です。
※以下ネタバレありなので、ご注意ください。
この「恋はデジャ・ブ」という邦題はなんとなく知ってはいたのですが、まぁありがちなラブコメだろうとなかなか手が伸びることがありませんでした(ラブコメも嫌いではないのですが)。なのですが、オール・ユー・ニード・イズ・キルの感想を書いたときにほかの方のブログの感想を読んでみると、同じ「繰り返しもの」としてよく名前が出てきていたので、いつか観てみたいなと興味が沸いていまして、軽い映画が見たい心境のときに借りてみました。
実際に観てみるとこれは単なる恋愛ものではありませんでした。それどころか私にとっては大傑作だったのです!育児に追われてなかなか映画感想のブログも書けていないのですが、これだけはちょっと無理をしてでも書き残したくなるほどでした。
ごう慢でワガママな男
主人公のフィルは、テレビで気象予報を軽快なトークでこなしている男ですが、その実態は自分が有名人であることを鼻にかけてごう慢、自分勝手。他のチャンネルからもオファーがあると言いふらして、その振る舞いは非常にわがままです。
4年連続で2月2日の聖燭節に行われるグラウンドホッグデーというお祭りを取材するためパンクスタウニーという田舎町に取材に来ますが、本人は寒い上退屈な仕事に不満タラタラ、田舎者を見下した態度はとるし、同じく前日入りしたディレクターのリタ等が泊まる安ホテルには泊まりたくないとわがままを言うほど。
今回の取材で初めて顔を合わせたリタが前もって別のペンションを予約していたほど、彼のわがままな性格は知れ渡っていたのでしょう。
繰り返す日々
さて、この映画では何を繰り返すのかというと、フィルがこの祭りが行われる2月2日という1日を何度も繰り返す話でした。前日入りし、朝6:00に起床。朝の内にとっととリポートを終わらせて帰るつもりだったのですが、その日は吹雪となってしまいもう一日泊まることに。目覚めると6:00、そのお祭りの日がまた始まったのです。フィルには同じ日を過ごしているという記憶があるのですが、他の人たちは初めての2月2日を生きています。
何をしても、警察に捕まっても、たとえ死んでも、その日の朝6:00に戻されてしまいます。そんな繰り返しの1日の中でフィルが成長していく、そんなお話です。
繰り返しの毎日で考えること
もし繰り返しの日々が自分に起きたらどうするでしょうか。このフィル場合はこんな変化をたどっていました。
①驚き、受け入れがたいが間違いないと悟る
②他者(今回はリタ)に告白して助けを求める
③何をやっても無効になるため、開き直っていつも我慢していたことをやる
④この仕組みを利用して女をだましたり金を盗んだりする
⑤気になっていたリタを落とすために、繰り返しデートを行い、徐々に攻略を目指す
⑥結局リタは落とせず、また朝となり、リタとは素敵な思い出も共有できないことを知る
⑦状況に絶望し、自殺する
⑧それでもダメなので・・
⑤までの行動は、いかにも皆が通りそうな展開ですよね。
オール・ユー(略)でもそうなのですが、繰り返しを上手く簡略してリズム良く見せられるののはとても面白い。この映画でのこの辺りまでの流れは、普通にコメディでした。
残り半分のビール
この過程で、非常に重要なテーマが二つ、台詞になっていました。
フィルはボーリング場で地元の男2人と酒を飲み、「あの日だったら何度繰り返してもいいのに、何故こんな最悪な日なんだ」などと愚痴っています。その返しに、フィルの状況を知らない男の内1人が、残り半分になったビールのジョッキを指して「もう半分しか残っていないと考えるか、まだ半分あると考えるか、お前は前者なんだな」と言います。これがひとつ。
その返しにフィルは、「どこへも抜け出せず、毎日が同じことの繰り返しならどうする?」というと、もう一方の男が「俺はそういう暮らしだ」と返します。
一見酔っ払いどものクダなのですが、後になって思い返すと非常に重要な意味が提示されていることがわかります。
彼が得たもの
フィルは何をしてもリセットされる人生に絶望します。
特にリタと仲良くなって素敵な夜を過ごしたことも、リタが忘れてしまったことはショックだったようです。何度も同じ時間を過ごせる彼は、リタの好みを知って何とか落とそうとしますが、結局最後には彼女に不審がられてしまい、一度も成功しませんでした。これはビンタの繰り返しのシーンで示されます(笑)。
絶望の果て、彼は自殺を図ります。ですが、それでもやはり2月2日の朝に目覚めてしまうのです。
死ぬこともできない彼は気力も失ってしまうのですが、リタとの交流の中で学んでいました。ひとつは、リタを落とすために読んだ詩などの本の知識、そしてもうひとつはリタ持っていた、前向きさと他人に対する優しさ(利他性・・ってシャレじゃないっす//)です。
変化
彼女を認めてからフィルは変わりました。
彼は自ら本を読むようになり、ピアノを学び、氷の彫刻を彫る技術を身につけます。なにひとつ変わらない日々の中、彼は自ら成長することはできたのです。
変化は彼の行動も変えました。彼は他人のために行動するようになったのです。町でその日に事故で死ぬはずだった人たちの命を救い、困っている人を助けようとします。何日も何日も。
やがて彼に対する、周囲の人たちの態度が変わってきました。リタも、彼が町の人に愛されていることを知り、いよいよ彼女の中にフィルに対する気持ちが芽生えたのです。また訪れた2人きりの夜、彼は彼女の顔を雪に彫ります。リタは感激し「なんと言っていいか・・」と言ったらフィルはこう答えます。「明日どうなろうと未来がどうなろうと、今が幸せ」と。
その瞬間、雪が降ってきました。これまでとは違うことが起きてる?とさりげなく感じさせる素晴らしい演出です。
哲学的なテーマ
フィルは変わりました。
何も変わらない毎日に絶望してところから、それを受けいれたうえでその一日一日を大切に生きるようになりました。ビールがもう半分しかないとわめく側の人間から、まだ残っている半分を大切に思える人になったのです。変わらないはずの一日を積み重ねることで彼は様々なものを身につけ、自己的でわがままな要求を周囲に強いる人間から、周囲に愛される人になりました。
フィルが繰り返した一日、これはあまり変化無く生きている私たちの日々そのものでしょう。先のボーリング場の男が言ったとと同じです。だとすれば我々だってフィルのように成長できるし、技術を身につけられるし、周囲を変えることができる。
追われるように過ぎていく毎日ですが、今日という日だって何かができる大切で素晴らしい日なんですね。
そんなことを教えてもらいました。
まとめ
家事育児と仕事に追われ、一日をこなすだけで精一杯の疲れきった毎日、人生も半ばを過ぎてしまい、なんとなくわかったような気持ちで将来を決め付けてしまっていたことをこの映画は気付かせてくれました。人によっては甘ったるい映画に感じられるかも知れませんが、私にとっては希望を芽生えさせてくれた大切な一本となりました。
非常に哲学的なテーマだと思うのですが、かといって堅苦しい話では全く無く、あくまで気軽に観ることのできるコメディ(繰り返しますがラブコメじゃあないです!)であり、そのうえ刺さる人には刺さる深みさえもった素晴らしい作品でした。
私のようになんとなく先が見えたような中年の方や、忙しい毎日に疲れた方などにお勧めさせていただきたいと思います。
今日も楽しく頑張ってこ!