他力と自力と

家事と育児に追われるおじさんの、日記代わりの備忘録です

「セッション」 感想 ネタバレ

幸運なことに時間が取れたので、話題の映画を観ることができました。育児と家事と、更に仕事がいそがしかったのでようやく今年初めての映画館での観賞です!

話はシンプルですし、終盤畳みかけられるドラムは素晴らしく、多くの方が楽しめる作品であったと思います。

 

監督:デミアン・チャゼル

2014年:米国

 

※以下ネタバレありなので、ご注意ください。

 

あらすじ

世界最高峰のシャッファー音楽学校に入学した19歳ジャズドラマー、アンドリュー・ネイマンは、校内最高の指揮者、テレンス・フレッチャーが率いるスタジオ・バンドに入ることができます。ですがそこでは、フレッシャーの狂気じみたスパルタ指導が行われていました。

歴史に名を残す偉大なドラマーになりたいネイマンはその指導に喰らいついて練習に没頭しますが、それに執着するあまり社会性を失っていきます。指導に追いつめられたネイマンはステージ上でフレッチャーに襲いかかり、退学処分となってしまい、夢が頓挫してしまいます。

暇を持て余していたネイマンですが、街中で偶然、こちらも学校を追われたフレッチャーと再会し、厳しい指導をしていた理由を語り、ネイマンには期待していたことを伝えます。そしてプロと共に行っているビッグバンドに来てくれないかと誘われるのですが・・。

 

ドラムでなくても成立する話

映画は、常識を逸脱したレベルで音楽としての高みを求める師弟の話です。

フレッシャーは完ぺき主義でバンドを支配していました。極端な緊張を強い、ほんのわずかなリズムのずれも許しません。椅子を投げつけ頬を張り、プライドを打ち砕くように暴言を浴びせます。

ですが、ネイマンは喰らいついていきます。最初は悔しさに泣かされましたが、手の皮を裂きながら練習を続けます。伝説的なプレイヤーになって親戚を見返したいという、こちらも強烈なモチベーションがあったのです。

そんな師弟の苛烈な練習がこの映画の多くの時間を占めているのですが、私はずっと「ドラムじゃなくてもいい話だよなぁ」と思って観ていました。他のスポーツでも同じ話がつくれるなーと。

 

フレッチャーの狂気を感じられるか

この映画のキーは、フレッチャーが狂った指導をしていることにどれだけ負の心境になれるか、という点だと感じました。この点が実は、私には弱かったような気がするのです。

私はなんの特徴も無く、何一つ成し遂げたことも無い、ごくごく平凡なサラリーマンです。競争社会で勝ち抜くような、伝説的なプレイヤーを目指すような場所の様子を知りません。そんな私がフレッチャーをみてどう思ったかというと、「世界一を目指す人ってこんな感じなんじゃないの?」といったものでした。

世界を目指すって大変だな~、俺には無理だな~逃げ出すな~、一生トラウマだろうな~なんてぬるま湯につかったままの視点からみてしまったため、「狂気」とまでは受け取れず、ヒリヒリとした緊張感を感じきれなかったような気がしました。

 

谷口くん

映画と全然関係ないことで恐縮ですが、つい考えてしまったので書き残しておきます。私が尊敬する「キャプテン」という中学野球漫画の主人公、谷口くんについてです。彼は周囲の期待に追いつくため、そしてチームを強くするために、全体の練習の後、陰で狂ったような特訓をします。

ポイントは、自らで課した特訓であること。

世界最高を目指すために厳しい指導者に特訓を受けた、ってそれだけじゃ弱くないか?とも思ってしまったのですね。だって谷口くんは、自分で自分に特訓を課しているのですから。

また漫画の話で恐縮ですが、矢吹ジョーが、朝鮮戦争で飢えのあまり親を殺してしまった金竜飛というボクサーのハングリーさにコンプレックスを抱いて負けかけたとき、「自ら飢えて減量して俺と戦った力石という男がいた」ということを思い出し、勝利するというシーンがあります。

つまり、矢吹のなかでも「自主的>>>強制」であったわけです!となれば、谷口くんを知っている私としては、狂気も味わい切れなかったのかもしれません!!ってどうでもいいですな。。

 

音楽と技術

また、映画とは関係の無い話になってしまいますが。

私がこの映画を観ていて考えてしまったのは、こういった特訓が音楽には最も必要なのかな?というものでした。引き合いに出したのパンクです。

私自身趣味の下手くそなバンドでコピーしたりしていますが、例えばまだプロデビューしていないバンドの3コードパンクの曲にも本当に心震わされる時があります。技術ではなくその曲のメッセージであったり、フレーズであったり、感情であったり。そういったものも音楽の素晴らしさの要素だと思います。

勿論技術があるプロの精巧な旋律に涙がでるほど満たされることもありますし、ジャズもテクニックの素晴らしさや感情が乗った演奏にも感動することもあります。なのですがこの二人が求めている限定的な楽器のスキルだけでは音楽の魅力は表現しきれないし、歴史に残るようなドラマーにはなれないのではないかと感じていました。

ですがこれは、クライマックスのネイマンの演奏に大興奮してしまったので、「あ、なれるかも」と立ち消えた感想になってしまいましたが(笑)

 

完成された曲のカタルシス

クライマックスのネイマンの演奏には、本当に興奮しました。

人生を追いつめられたネイマンが決意して反撃に出るその演奏は鬼気迫るものがあり、またネイマンがフレッチャーの支配を突き破り新たな領域へと覚醒した瞬間の気持ちよさ、そして終盤までネイマンのドラムをじっくり曲として聴かせてくれるところが少なかったので、ついに爆発したかのようにかっこいい演奏を見せつけられて、強いカタルシスを感じました。

私の狭い観賞経験の中で、クライマックスの演奏でカタルシスを感じたのは「オーケストラ!」と「スクール・オブ・ロック」以来でしたが、それぐらいの感動で曲の終わりと共に映画も終わったので、その幕引きの痛快さと共に映画全体の印象も良くなったほど。

このエントリでいくつか呈しました疑問点も、全て解消するほどの威力がありました。

 

画面の絵作りについて

今年に入ってカメラの勉強を始めたのですが、そんな目から見て映画の画面って非常に写真的な画面作りだな、と気付くことができました。

たとえば写真の本に良く乗っている構図で描かれることが多かったのです。人物をアップで撮る際、画面の中央には配置せず、画面を横に3分割して視線が向いている側を空けた逆の3分の1の位置に配置していることが多かったように感じました。また、物だけを撮る時も画面の右上から左下に画面の斜めのラインにそって配置していたり。

また浅い被写界深度を効果的に使っていることについても気づきました。被写界深度とは、カメラから見てピントが合う距離の事です。被写界深度が深い、というのは、手前から奥までずっとピントが合って全体が見やすい状態。逆に被写界深度が浅いと、ピントが合う対象が少なくなります。なので人物にピントを合わせたとき、奥の景色をぼかすことができてその人物を目立たせることができます。

この映画では、背景ボケのシーンも多いだけでなく、ぼやけたとこから一歩前進するとピントが合うなど、被写界深度を利用しているのが面白かったです。

私はカメラも入門書を読んだ程度の素人なのですが、それでも映画の楽しみ方が増えたな~嬉しく思いました。

 

まとめ

なんか文句ばかり書いているような気がしてきましたが、映画は普通に面白かったです。しかも109分と短いし、ドラムの映画ということでテンポ良く進行します。

誰にでもお勧めできる映画だと思います。観られて良かった!

まとまりのない文章ですみません。。