他力と自力と

育児に追われるおじさんの、日記代わりの備忘録です

親の役割は我慢すること

約7年前、私は親になりました。

それからというもの、私はあることをずっと続けています。

それは我慢です。

 

親になってからというもの、やりたいことはできません。やりたくないことを一日もさぼらずに務める義務を負います。

あの日以来すべては子供中心。子供の成長度合いによってその我慢も様々ですが、子供の今と明日と未来のために、妻と共に常に自分の今を犠牲にする毎日です。

 

そんな日々の中、子供の成長によってまた新たな我慢を知ることになりました。

ある日長男と二人で話していたときのこと。「学校楽しい?」といつも通りの「うん、楽しいよ!」を期待しながら質問をしたところ、「ん~、あんまり」という意外な答えが。なぜか聞いたところ、どうやら最近2人がかりで意地悪するお友達が小学校にいるらしい。

そしてさらに詳しく話を聞こうとすると、「なんか、あんまり言いたくないな」とやんわりと断ったのです。

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父親にも言いたくないこと。きっと恥ずかしいと感じたり、こちらが心配してしまうと考えているのでしょう。ちゃんと自分の世界を作っていて、自分たちのコミュニティに属していて、彼は既にこれだけ一緒にいた父親もちゃんと「他者」としていたのです。

 

いつもひょうきんでお馬鹿な男子そのものである彼が、そんな辛い思いを小さな胸にしまって我慢していたとは。もちろん別の個人であり、その世界も育んでいるとは知っていたつもりでしたが、わが子が辛そうな気持ちを抱えているのがかわいそうなあまり、つい口出ししてやりたくなりました。

でも・・ここでまた我慢です。これは彼の社会の話。彼が親には知ってほしくない部分。勿論私にも覚えがあります。どんなに心配でも、どんなにかわいそうで相手の子に腹を立てても、決して踏み込んではいけない彼の場所なんですよね。

 

育児やお世話とは次元の異なる、親として見守るという新たな我慢のステージに本格的に入ったことを感じました。

 

私は長男に対し、「そっか。」「じゃ、もし学校にいくのが本当に嫌になったら言ってね。それもいいからね」と今から思うとイマイチなことを言い、その話を終えました。

 

子供が3人いれば喜びも3人分あるでしょうが、心配事やトラブルも多くなるでしょう。そして彼らが成長するほどに、それも増えていくかもしれません。

そんなときにも尊重して信頼・・はできずに心配にさいなまれながらも、彼らの場所には踏み込まないで、我慢する(でも、逃げ道があることと親は絶対に味方であることだけは感じてもらえるように日常で伝え続けますが)!

育児が落ち着いてきたと思ったら、そんな先の長い覚悟を強いられるとは。

 

まだまだ開き直れたわけではありませんが、親の役割は我慢すること!腹を括れなくても長い目で頑張っていこうと思います。

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もちろん我慢も親の一面。喜びも楽しいことも沢山あります。

家族みんなで楽しんでいきたいですね。

 

それにしても・・私自身心配や心労ばかりかける子供であったと思いますが、私の親もどれだけ我慢してくれていたのか、改めて深く感じました。

おとうさんおかあさん、ありがとう。私も頑張ってこ!