他力と自力と

家事と育児に追われるおじさんの、日記代わりの備忘録です

「ルイーサ」 感想 ネタバレ

おばあちゃんの、ささいな成長の物語でした。

 

2008年 アルゼンチン・スペイン

監督:ゴンサロ・カルサーダ

映画は全く詳しくないのですが、好きでたまに観ています。

映画館にはなかなか行けないので、レンタルDVDでの鑑賞が主になります。

どんな映画を見たか、すぐ忘れてしまうので、備忘のための感想駄文です。

 

※以下ネタバレありなので、ご注意ください。

 

 

 舞台はアルゼンチンの首都ブエノスアイレス。夫と娘とは死別して、飼い猫ティノだけに心を許して孤独に生きているルイーサが、少しずつ変わっていくお話でした。

 

色の無い人生

彼女は何かを守るかのように、毎日規則正しく生活しています。同じ時間に起きてひっつめた髪のネットを外し、白いインナーの上には黒のスーツと靴を履いて、家を出ます。管理人のホセの挨拶にも無愛想な返事を返すだけ。バスが来る瞬間にバス停に到着し、1秒も待たずに乗り込みます。勤務先の「安らぎ霊園」で夫と娘のお墓参りをした後、15時になったら往年の大女優ゴンザレス宅の家政婦の仕事を掛け持ち。帰宅したら朝と全く逆の手順で服を脱いで寝るだけの生活です。毎日同じ時間に同じルーティンを繰り返すだけの日々。
モノクロの服装と常に他人を拒むような仏頂面と態度で、色の無い孤独な生活を頑なに維持しているように見えます。

 

生活の断裂

そんなルイーサに転機が訪れます。最愛の猫ティノが死んでしまうのです。しかも30年務めた霊園を、定年まで1年を残してクビになり、女優も引退して引っ越すということでこちらも仕事が無くなります。つまり、一日にして彼女にとっての日常の全てを失ってしまうのですね。
ルイーサは猫を火葬してあげたいと業者に聞いたところ、300ペソもかかるとのこと。ピーナッツ缶にある小銭が全財産である彼女にとっては到底届かない金額です。映画はルイーサが300ペソを入手しようとこれまでの殻を破り、奮闘する物語になります。

ちなみに映画が公開された2008年の為替は、1ペソ当たり約33円。300ペソってわずか1万円弱です。ここまでの描写で、孤独に頑なに何の趣味も持たず毎日仕事していた彼女、お金が無いというのが飲み込みづらかったですし、退職金も出るでしょ?と思っていました。ですが舞台はアルゼンチン。日本では考えられませんが、2つ掛け持ちして仕事しても貯金もできず、いきなり首にされて退職金も踏み倒されるようなことがあるのかもしれません。

 

「悲惨な人生」

ときどき、夢や写真によって、彼女には最愛の夫と娘が居たことがわかります。夢で二人と居る時の彼女は本当に幸せそう。残念ながら二人とは死別したようですが、その具体的な原因は映画内では提示されません。ですが、ゴンザレスから「あなたは悲惨な人生を歩んできたわ」などと言われていたので、辛い別れであったことがわかります。
彼女が頑なに他人を寄せ付けずに孤独なのは、変化せずに生き続けていることでこの辛さから目を逸らしているように見えました。

 

無知すぎる・・

300ペソを手に入れるため、ルイーサは行動を開始します。
まずは退職金が入っているはずの銀行に向かいます。いつも通りバスに乗っていたところ、急にバスが故障。仕方なく地下鉄で移動することになるのですが・・なんとルイーサは地下鉄の乗り方を知らないんのです。それどころかエスカレータにも満足に乗れません。この辺りで「アレ?」とおもったのですが、ルイーサは真面目なのですがあまりに常識が無いというか、無知なんですね。
霊園からはわずか20ペソで型をつけられてしまいます。困ったルイーサは地下鉄や電車で物乞いをしている人を見て、これを真似てお金が稼げると思ってしまうのです。イヤイヤイヤ!無知にもほどがあるだろうと思ってましたが、やはり上手くいかず本気でガッカリしている様子。
ですが300ペソが必要なルイーサはくじけません。片足しかなくて地下鉄で座りこんで物乞いをしている男を見て、松葉づえを買って翌日、同じ場所で同じように座りこんで同じように物乞いを始めるのです。当然場所を取られた男は怒って口論となりますが、やがてお互いのことを知って心が通じるようになります。
男の名はオラシオといい、ルイーサの馬鹿さ加減に呆れつつも「なぜこんなことをやっているんだ」「こんなことをやっていてはだめだ。ここは底辺なんだ」「お前にはまだ両足があるじゃないか」と優しく諭します。するとルイーサは「あ、脚があるから私はメクラの役をやるわ。一緒に稼ぎましょう!」と言い出すしまつ。。とことんオバカであります。

 

彩り

ですが、物乞いを始めて以来、ずっとモノクロだったルイーサの見た目が変わってきます。脚が悪い振りのときには茶色い布で顔を隠していましたが、メクラの役のときには派手な色のかつらをかぶってサングラスをかけて(こんなの持っていたのか!)、だんだんと色彩を帯び始めるのです。オラシオとの交流以降、ルイーサの言動にも色が出てきます。孤独であった彼女が思いやる言葉をかけたり苦労を吐露したり。そして一緒にあの社長に電話で啖呵を切っては喜び、今日の稼ぎで食事を分け合って食べる。ホセの優しさも受け入れるようになります。

そしてついに天啓が訪れます。お金は貯められないけれど、ゴンザレスが去った元自宅のごみ焼却炉で遺体を焼けば良いと思いつくのです。大きなマンションの最上階でしょうか、非常に見渡しのよいベランダにある焼却炉。晴れ渡る空を背景に、黒ではなくより明るめのグレーのスーツを着ているルイーサ。傍らにはオラシオとホセという仲間が肩を抱いています。
彼女は遺体を焼きながら、やっと泣いていました。それはようやく遺体を焼くことができて安心して、やっと悲めるようになったシーンに見えます。ですが、これまで頑なに生きてきた彼女が、人とのつながりの中で、自分の気持ちを素直に出せたように私には感じられました。素晴らしいシーンでした。

 

ハッピーエンド?

ルイーサはティノの骨を夫と娘のお墓の間に産めます。そして「結局、人は皆それぞれ。あなた達はあちら、私はこちら」と呟いてお話は終わります。過去の悲しみを受け入れて自分を解放できた、という意味ではないでしょうか。
ルイーサは変わりましたが、彼女を取り巻く経済状況は変わっていません。しかもアルゼンチンはこの後ますます経済状況は悪化します。なので観ていてハッピーエンドかどうかは微妙なところ。なのですが頑なに孤独に無知なまま生きてきたルイーサの人生が広がって、前向きな気持ちになれたのはささやかながら成長ですし、喜びですよね。
映画の中でたびたび出てきてルイーサの心情を表現していた楽器の演奏者が、最後のシーンで一同に介してバンドになってルイーサに曲を弾くというシーンがあり、ルイーサが笑顔で答えて映画は終わります。この絶妙な嬉しい感じ、これぐらいのハッピーエンド感に私は感じました。

 

まとめ

全体的に地味な印象ですが、無知すぎるルイーサの必死の行動や意外と厚かましい言動、アルゼンチンのシステムの機能破綻っぷりなどなど、実はユニークな映画でした。思わぬところでカットが変わったり斜めからの画像が多用されたりと、映像的にも目を惹かれるところも多かったです。
ルイーサが今も、色のある暮らしをつづけていますように!と実在の人のように感じられる、良い映画でした。