他力と自力と

家事と育児に追われるおじさんの、日記代わりの備忘録です

「SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」 感想 ネタバレ

正直苦手なジャンル、でも、それでも。心をえぐられる様な感動を受けました。

 

2012年 日本

監督:入江悠

映画は全く詳しくないのですが、好きでたまに観ています。

映画館にはなかなか行けないので、レンタルDVDでの鑑賞が主になります。

どんな映画を見たか、すぐ忘れてしまうので、備忘のための感想駄文です。

 

 ※以下ネタバレありなので、ご注意ください。

 

「SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム」 感想 ネタバレ エントリで前作を大絶賛させていただき、一週間で4回も見てしまった立場として、3作目を見るしかねぇだろう!という気持ちで即DVDを借りに行ったのですが、このジャケットでもう、正直「いよいよ来たか・・」と思わされました。

 

私は2作目が大好きなわけですが(3作目を見た後も2作目が好き!と自分に言い聞かせているのですが)、それでもこのままシリーズが寅さんのように続いていくとは思っていませんでした。

私が2作目を見た後ネットで皆さんの感想を読んで、「1と展開は一緒」と書かれていたのを見て、「あ、そ、そうだったっけ」と気付いたのですが、3作目となるこの作品は明らかにジャケットの段階でテイストが異なるわけです。

「ギャングスタラッパーの方々の怒号と暴力で、イヤーな映画になってんのかも・・」と、気の小さい私は躊躇したのですが、もう熱量というか、手にしたDVDを離せない勢いを感じ、覚悟をしてレンタルしてきました。

 

冒頭、マイティは成功しているラップグループの付き人として夢を追っていました。この極悪鳥という人気グループが案の定ギャングスター(というか私はギャングスターがどういったものかわかってないので、イメージなんですが)で、この世界に疎い私にとってはフィクションっぽく作っているのか把握できず、その分この日本の我々の身近にこんな世界があるのかも、と思うとほんとにげんなりしました。

でもこれって、やはり入江監督の凄さなんですよね。映画の中の人物に実在感を感じるわけですから。

 

このマイティは、1ではコメディ担当でありながらイック達を裏切るわけですが、彼が本気でラップと向き合っていたことが示されます。極悪鳥も非常にかっこよく、マイティが従事していることも説得力があります。しかし2年間も仕えた極悪鳥に見捨てられ、怒りに任せて一番凶悪そうなメンバーを殴りつけて逃げ出します。このメンバーの方々はプロのラッパーだとあとから知ってかっこよさは腑に落ちたのですが、やはり怖い・・。

※後日追記。極悪鳥のかたがたは役者さんと後から伺いました。凄い!

 

逃げ出したマイティは音楽を捨て、犯罪で食ってるグループに入ったようです。若手を従えながら搾取する側に回ったように見えます。ですが、この犯罪集団がまた悪くて。。

手下ができたとはいえ、彼は上の人間(これまたちょーコワ)には使い捨てられるような立場であり、いきなり殴られたり腹蹴られたり、金が消えた濡れ衣着せられたりと、彼の環境はさらに悪化しているようにしか見えません。もうちょっと長く生きて社会を見ているおっさんからすると、バカで無知ゆえ選択肢を持っていないため、このような環境に居るように見えます。たとえラップを捨てるにせよ、もっとまともな生活ができるはずなのに。。といたたまれませんでした。

 

私は彼の境遇に、彼の孤独を見ました。孤独ゆえアドバイスをくれるような人もおらず、「無知の知」にも気付けず、誰かを頼ることも思いつかず、自分の手元のカードのみの選択肢で生きざるを得ない。恋人の一美はいますが、二人とも袋小路に居るように映ります。

 

延々とマイティの厳しい状況を見せ付けられ、このDVDを借りるときに問われた覚悟を強要されていたわけですが、その空気を一変してくれたのが、イックとトムでした。彼らが登場したときの、心からほっとした感じというか、このラップ馬鹿ども(もちろん褒め言葉)の心強さといったら!

 

彼らは相変わらずちょっと抜けていて、TKD先輩を敬愛し、そして大好きなラップを続けています。マイティに比べてなんて幸せにみえるのでしょう。それは好きなラップを続けているから、夢をまだ追えているからという対比だけとはじゃないように思いました。彼らは仲間同士であり、なかなか売れないのも大変ですが、ちゃんと人とのつながりがある、その点で私は幸せに見えたのだと思います。

前作でもそうでしたが、うざがられながらもラップのリリックに思いを乗せて、自分からのアプローチで人とつながり、相手の心を震わせます。今作でも征夷大将軍(これがまた最高!)と仲間になって、救いあいます。オーディションではからかわれた女の子たちも一緒になって踊ってました。傍から見ていても心強く嬉しくなります。

 

人は一人で生きてはいけないといいますが、まさにその通りですね。地球上に自分独り存在することになったら、それは生きていないこととほぼ同意です。誰にも自分の存在が認識されないわけですから。GLAYさんの曲で「生きていることは、愛すること愛されること」という歌詞がありますが、このことを伝えているのではないでしょうか。

 

大切な人とのつながりの中で自分は存在する。存在価値を得られる。死ぬまでの限られた時間を楽しいものにしてくれる。「希望と明るさ」があれば人間として生きていけると思っていましたが、人とのつながりは人間としての存在意義なのではないでしょうか。

なんかとりとめも答えもない話を書いてしまいましたが、この話でのマイティとイックたちの境遇の違いに、私はそんなことを考えてしまいました。

 

映画の終盤、「映画史に残る」シーンがあります。ステージの周辺で行われる長回しのシーン。このシリーズの特徴として長回しの名シーンは数ありましたが、これはもう誰も真似ができないレベルというか、これを作ったスタッフや役者のみなさんの思いを想像すると言葉も出ません。

その最後、生きるか死ぬかの瀬戸際で捨てたはずの音楽に魅入らされステージに引き寄せられるマイティの姿は、それまでの「バカヤロウ!」と彼に大人目線で数々説教してやりたくなる気持ちも失わせるほどの説得力。本当に心を震わされました。

なのにブロッコリーが出てきたり、彼女がとうもろこしを買っているという絶妙すぎる句読点の付け方も恐ろしい。

 

そして最後、刑務所でのシーン。どんな言葉もあのマイティを説得できるものはなかったでしょう。彼は周囲との関係を断ち切っているのですから。でもラップだから、ラップが大好きなイックたちのラップだから、必死の思いを乗せた本気のラップだから、だからこそマイティの心に届いた。そのように見えました。

ここも長回し。挑発するようなラップの一つ一つがマイティの壁を壊し、その心にもう一度火が付くまでの流れが見えました。マイティがそのうちラップを返すことは見ている側は想像が付いているのですが、その変化への必然を感じるものでした。最後の「じゃあな、SHO-GUN」という言葉に私は感謝を感じ、最後の一滴の涙も搾り出されました。

 

全体的に凶暴でダークな雰囲気にある作品であり、前作の曲(ワックワックB-hack)が気に入って、遊びでラップじみた歌いかたをしている子供たちに、親としては即ラップ止めさせたくなる映画でして・・。個人的にやはりテイストとしては2のほうが好きなのですが、間違いなく「ものすごいものを観た!」という気持ちにさせられる作品です。

映画の内容のみならず、こんな作品を自主制作で作り上げた監督スタッフの皆さんの、わたしでは想像もつかないチャレンジに、私は心えぐられるほどの感動をいただきました。